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東京大学平成最後の祝辞について平成世代が再考してみる。

 こんにちは柚子です。
 普段は恋愛のことやメイクの言葉かり呟く頭まっピンクなtwittetをしている社会人5年目に差し掛かったアラサーです。
私は平成4年に生まれ関東の田舎で立派なゆとりど真ん中世代として育ってきました。土曜日は当然学校がお休みでしたし、成績が廊下に張り出されることも体罰を受けたこともありません。
その恩恵を受けてスクスクと立派に育ち東京の国立大学に入学しました。
自慢ではありませんが、その年の卒業生の中でも首席の成績で卒業した一人です。身バレが怖いので大学名は明かしませんが立派な国立大学でした。
そんな私は社会人になってまだ経験が浅いながらも、現在東京で比較的自由な体制のITやら比較的保守的な美容業界やら独自のルールをもつ外資業界やら色々と経験をしてきました。

 平成もあと1ヶ月を切った折に東京大学の入学祝辞についてTwitterで流れてきました。
私は恥ずかしながら存じ上げておりませんでしたがジェンダー学の第一人者の上野千鶴子先生が祝辞だそうです。
一応リンクを貼って起きますね。

この祝辞にはTwitter界隈の全土が賛否両論でした。
多くの同年代女子からは「まさに思っていたことを言葉にしてくれた!」「私たちがずっと疑問に思っていたことをこんな場で話してくれて嬉しい」そんな賛辞が一番飛び交っていた印象でした。

その逆に「大学入学の祝辞には不適切なのでこういうことはブログで書けよ」や「入試の男女比率について言及するということは今回の東大の入試も男女の間で不正があったのか」「レイプの話をする必要があったのか」「入学式でフェミニズムの話はなんなんだ?」「東大生男がモテるのは嘘だよw」や「東大卒女子を嫌がる男がいるならそれはいいフィルターになっていいと思う」「どうして弱者と勝者などとしか世の中の人間をわりふれないのだ」と言った意見を見た
もちろんそれ以外の意見もたくさんあっただろうが全部には言及できないのでここでは割愛させてもらおうと思う。

掲題の通り、私は今回の入学生の社会人としての先輩として(東大卒ではないので学校の先輩ではありません)、平成生まれとして、また今まさに女性として日本社会に生きるという立場で、本祝辞について掘り下げたいと思う。また私は本スピーチを生で聞いたわけではないので東大HPで公開している文章を元に内容について考える。

■今回の上野千鶴子氏の祝辞の構成について

今回非常に多かったのが本祝辞の構成が非常に複雑で色々な回り道をした挙句に最後はそれっぽい立派な言葉で締めくくっており、結局なんだかよくわからないという声だった。私は今回の賛否両論の原因はここにあるのだと強く感じている。
そのため今回の構成について以下の通りまとめて見た

①女子学生の置かれている現実
 ーさく年の医学部入試の男女と現役、浪人生間の合格基準不正
 ーその背景にある大人たちの女性教育に対する姿勢の問題
 ー東大に頑張って入学した女子はモテない
 ー東大男子が過去に頭が悪いという理由で他大の女子をレイプ
 ー東大には今も東大女子が入れないサークルがある
➡︎偏差値に性差別はないが、大学入学の時点で隠れた差別が始まっており社会人になればもっと酷くなる。東大もそんな環境の一つである。

②女性学のパイオニアとして
 ーこういうことを研究する学問として生まれたのが女性学
 ー上野氏が立ち上げた学問であり、彼女はそのパイオニア
 ー今ではジェンダー関連のどんな研究でも学位が取れる
 ーでもそれは上野氏を含む女性が過去に戦ってきたから
 ー彼女を突き動かしたのは好奇心と、社会の不公正に対する怒り
➡︎学問にもベンチャーがあり、女性学を含め環境学、情報学、障害学などさまざまだが、それは時代の変化がそれを求めたからだ。

③変化と多様性に拓かれた大学
 ーとはいえ東大は変化と多様性に拓かれた大学である
 ー東大生1人にかかる国家負担は年間500万で貴方達は選ばれている
 ーこれからの4年間素晴らしい教育環境が待っている
 ー自力で頑張ったからここに入れたと思っているだろうがそれは違う
 ー世の中というのは頑張っても報われない不正が当たり前にある
 ー自分たちが頑張った成果だと思っているものは環境のおかげである
 ー頑張れない人も、頑張っても報われない人も、色々いる
 ー貴方達の頑張りを勝ち抜く為だけに使わないでください
➡︎恵まれた環境と能力を、恵まれない人々を貶めるのではなく、助けるために使ってください強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想である

東京大学で学ぶ価値
 ーこれから待っているのは、正解のない問いに満ちた世界
 ーシステムとシステムの間、文化同士の間に摩擦が起きるから学内に多様性が必要
 ー学内に止まる必要はない、東大は色々なサポートをしてくれる
➡︎東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい
➡︎大学で学ぶ価値は、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと確信している
➡︎知を生み出す知、メタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。ようこそ、東京大学へ。

如何でしょうか。幾分上野氏の主張の輪郭がクッキリしたのではないかと思う。

■本スピーチは一体誰向けのものだったのだろうか。

 このスピーチを受けて多くの女性が感銘を受けた。それはきっと①と②の話についてだろう。多くの女性の気持ちを、上野氏は代弁したのだろう。
私が見るにこのスピーチが多くの女性に刺さったのはこれが幅広い層の女性をカバーした内容だからだ。
やりたいことをやらせて貰えなかった女性、自ら諦めた女性、頑張り抜いて勝ち取ってきた女性、今まさに戦っている最中の女性、まだ社会のジェンダーに巻き込まれる前の女性。全ての女性の気持ちを代弁しここまでの賞賛を得る内容をまとめ上げた上野氏はとてもすごい人だと思う。

 しかしこのスピーチの本質は間違いなく東大入学生に向けた内容だ。
そして本スピーチの本質は男女差別の論点ではないのだ。
彼女の段落構成はさらに私として要約するとこうだ

 ①社会や世界には差別が存在している。それって他人事じゃない。最近までやってた大学入試でもあったでしょ
 ②私は自分の若い時代からそれに気づき戦ってきた。そして戦った結果勝ち取ってきた。学問だって既存のものだけではなくベンチャーとして立ち上げることができる。
 ③東大というのはそれを許してくれる大学だ。貴方達は選ばれた学生だ。決して自分だけの力だと思うな。自分の周りにある恵まれない環境(差別や不正など)を正したり助けるためにその能力を使って欲しい
 ④世界にはまだ答えのないことも、これから生じる摩擦も沢山ある。東大に入ったのだからその答えを出していける知を身につけて欲しい。

どうだろうか。結局彼女はこれがいいたかったのではないだろうか。
これほど東大の入学式の祝辞に相応しい祝辞は他にあるのだろうか?
これは間違いなく入学生に先輩としてのアドバイスも、社会についても、己の使命も全てをしっかりと伝えた上でこれからの学び舎での生活を鼓舞する立派な祝辞ではないか。

■どうしてこのスピーチがこれほど大きく広まったのか

 この理由について、私はどうしても声を大にして言いたいのは
「この長い内容を一つ一つ聞いた瞬間に瞬時に理解したのちに、最終的に何が言いたいのかを要約して腹落ちさせられる人があまりにも少なかったからではないのか!?」ということだ。

あまりにも長く、その全ての内容について一つ一つ考えさせられる投げかけを使った構成であることで、論点がその一つ一つの発言に集中し、一つのスピーチにこれほど色んな角度からのツッコミや意見が集まったのではないだろうか。

 これはとても見事な手法で、バラして考えても沢山の投げかけや問題があり、さらにそれらの全てを組み合わせてもこんなに立派な骨のある首尾一貫した主張が現れる2度も3度も美味しいスピーチをしているということなのだ。

■一人の女性として

 東大生への祝辞とわかっていながらも私も一人の女性としてその祝辞について意見を述べさせてほしい。
冒頭でも述べたとおり私は平成に生き多様性の中で生きてきた。
多くの女性と同じようにこの祝辞に大変感銘を受けた一人だ。
私は関東の田舎出身でそもそもそれほど頭もよくなかった。そんな中でふと夢を見つけて軌道修正をしてみた結果東京の国立大に入社し、外資系企業から日系企業にまで広く見る機会が手に入った
父親と母親は中卒で、工場の作業員だった。
だから言ってみれば底辺から登ったタイプの人間だ。

社会人として数年過ごしてみて感じたのは大きなプレッシャーだ。東京の中心に近づけば近づくほどそこには色々な条件があり、それに合格した物を持っている人だけが選ばれる仕組みを知った

また同時に感じたのは限りない可能性だった。親からもらったものでもいける距離はそれほど遠くはなく、どこかで自分の足で歩かなければいけない時が来るのだと周りの恵まれた子を見て思った。
そして日本という国では可能性もチャンスも平等に開かれているのも事実だ。医学部の採点不正にしたって、ある程度の点数をとれば女子の入学は認められるので、実際に合格した女性は沢山いる。
東大への扉だって全ての人間に開かれているのだ。

多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきたのです。

私が今回一番取り上げたい部分はここだ。
外資時代も日系の時代も多くの一生懸命働く女性をみてきた。
年収が数千万ある女性も、女性管理職もいた。給料に関係なく、自分の仕事にプライドを持って立派にこなしている女性が多くいた。
しかしその多くが結婚していない、あるいは子供がいなかったのだ。

そして女性の割合も相当に少なかった。一つ一つの昇進に相当な壁が立ちはだかり、彼女たちはその昇進のために並々ならぬ努力をし、一つ一つに全力で戦ってきたように見えた。
私の目には仕事の内容だけではなく自分が女性であることで処理しなければいけない仕事がもっと増えていたように見えていた。
後から入った男の部下があっという間に彼女たちより上に登っていったのも何度もみてきた。
それは彼女たちに実力が足りなかったからなのだろうか?

また同年代の話になると多くの女友達が結婚を焦り自分のキャリアについて考えている。すごく一生懸命働いたって「女の子なんだからそんなに頑張ってどうするの」という大人の言葉を今も浴びせられているのが現状だ。
また、自ら自分の可能性に蓋をして結婚をしてキャリアを諦める人も多い

今、全ての人間に東大は開かれている。歴史を遡り多くの人たちが戦ってきた成果だ。しかし、開かれているからこそ、それを勝ち取った時にその先にもっと根深い問題が残されているのだと身を以て感じている。

これは決して女性だけの話ではない。人種やその他全てのことである。
今の世の中は旧式な慣習と新しい風が吹き荒れて日々変わっていっている。
今回の改元生前退位、官邸のイケイケなインスタのストーリーなどをみて時代の変化をヒシヒシと感じる。またIT業界に長くいる身からしてこれから数十年の技術革命に心躍らせている。

と同時に新しいものが興るということは古い文化との間に摩擦が生まれるということだ。多様性が大切なのは何も東京大学の中だけではないのだとこのスピーチを見て感じたのは何も私だけではないのではないだろうか。

このスピーチはなんと平成最後の1ヶ月に相応しいものか

私は東大卒ではないし、恵まれた環境の人間ではない。自分の幸せのために結婚をしたいし、仕事だってずっと続けたい。できれば大きなことも成し遂げたい。欲張りに生きていきたい。
きっと今回上野氏のスピーチに感動した女性の皆さんも同じ気持ちだろう。
それと同時にこのスピーチに違和感を覚えた人は一体どこに違和感を覚えたのかもう一度考えてほしい。それをはっきりと認識もしてほしい。

賛否両論ではあるが、このような考える機会を日本中に設けた上野氏のスピーチに私は賞賛を送りたいと思う。